みなさんこんにちは、代表理事の森です。vol.1を寄稿してから、かなり日が経ってしまいました。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。朝晩は若干気温が下がってきて、少しずつ秋の訪れが感じられるようになっているものの日中は相変わらず猛暑が続きますね。
さて、今日はタイトルにあるようにPBLや探究活動における問いの質について考えていきたいと思います。
探究学習の素晴らしき意義と危惧
最近PBLや探究学習は大変注目されている分野ですよね。私も非常に注目しておりまして、人生を幸せに生きる上では、自分の好きを見つけ、そこをとことん追求していくことが必要だと思っています。その追求する方法がPBLから学べたり、好きを見つけることが探究学習だったりすると思います。大袈裟な言い方をすると、自分の人生の指針を見つける極めて重要な分野であると思っています。
一方で、いくつかのセミナーや勉強会に参加した中で、話を伺うとそれらの学習においては、やり方次第では「ただのママゴト」「身にならない」「とてもつまらない」ものになってしまう危惧をされているとの話がありました。
確かに、トピックは今をときめくSDGsを取り上げているのに、「リアリティがない。」「やることが決まっている。」「表面的なことしか知ることができない。」など、なんかうまくいかないな、なんてことを聞いたりします。上で述べた大袈裟な理想論はあくまで理想であって、現実との乖離はあるようです。
問いのレベルについて
また、最近では「問い」は大事だというけれど、その問いの質ってあるよなと思っています
例えば、「あなたは数学と国語どちらが好きですか?」と「あなたは学びってなんだと思いますか?」はどちらも問いではありますが、答えの幅はかなり違うと思います。
この答えの幅こそが、「面白い」「面白くない」を分けるポイントなのではないかなと思っています。
そんな時、ちょうど今読んでいるFutureEdu代表理事の竹村さん著の『新・エリート教育』にまさに私がモヤっとしているポイントを明瞭に紐解く記述がありました。以下抜粋です。
レベル1:確認(Confirmation) - 問いも手法も結果も事前に明確な実験のような活動
レベル2:構造化されている(Structured) - 問いや実行のプロセスのみが決まっている探究活動
レベル3:ガイドされている(Guided) - 問いを元に、生徒により探究プロセスの設計、実験、実施
レベル4:オープン(Open or Free) - 生徒が設定した課題をもとに、自らを探究する
『新・エリート教育』竹村詠美 著, p116より
この考え方は私が考えていた問題解決の粒度を示す上でかなりドンピシャな記述でした。
今、みなさんが実践されているPBLや探究活動はどのレベルに属しているでしょうか。
ここから完全に私の解釈や理解を元に作成した図で説明していきます。まず一つ目です。こちらは、上に述べられたレベルごとに、どのような問いの粒度であるかをイメージとして右側に述べたものです。
レベル1は明確な問いがあり、先生も生徒も何をすればいいか全ての工程が統一された状況で実施されます。誰がみても同じことをします。
そして、レベル2からレベル4に上がるにつれて、問いが徐々にぼやけていきます。そうすると方法やアウトプットも特定の集団や個人によって予測ができなくなっていきます。
各レベルVS〇〇
次にこの図をみてください。レベルごとに生徒の成長の度合いをグラフにした図です。
少し話は変わりますが、新学習指導要領には、「主体的、対話的で深い学び」と記述されています。Society5.0の世界が求める人材像を元に文科省が設定されていると思いますが、この「主体的、対話的で深い学び」が実現されるのは高いレベルの問いであればあるほど実現されることは想像できるかと思います。
なぜなら、問いがぼやけるほど変数が増えていきます。問いの設定、方法、条件など様々な部分を自ら設定し、検証し、トライアンドエラーを繰り返さなければ成果物にたどり着けません。その度に主体的に考え、他者と対話し、その結果得られる発見は深い学びであることはいうまでもありません。
つまり、理想だけを言えば、レベル4に近づく問いを設定した方が生徒は深い学びが実現するのです。実現するのです。
レベルを高く設定する難しさ
次に下の二つのグラフをご覧ください。
こちらは、レベルの低いところから高いところになるにつれ、成果物と先生の不安がどのように変化していくのかを表現した2つのグラフです。この二つを見比べるとわかるのは、
レベルが上がると、、
・成果物の予測ができなくなる
・先生の不安が高くなる
です。成果物の予測に関しては、わかりやすいですよね。例えば、先ほどのレベルごとのピラミッドの図では、例として、レベル4は「社会課題を一つ設定し...」とあります。その時点で、生徒はどんな社会課題を設定するのか全く見当もつきません。その後のプロセスも何も記載していないので、それをどのように進めていくのかもわかりません。
同時に、先生の不安は高くなると表示しています。理由については次の図をみていくとイメージできると思います。
こちらの図からわかるように、成果物の予測ができないと、先生の不安が高くなると考えるからです。
こう考える前提としてあるのは、先生は普段授業運営の中でできるだけコントロール可能な状況を作りたいと思い、授業準備をされていると思います。それが最大のリスクヘッジであり、質の高い学びだと考えてるからです。
「今日の授業の単元はこのように進めよう」
「50分の中でどのような展開で最後生徒に〇〇のアウトプットが達成できるように設計しよう」
などです。
こうしてできるだけリスクヘッジをすることで、先生の不安を最小限にし、学習の質を担保しています。もちろん学ぶことがあらかじめ決まっており、生徒の期待値通りに学びを提供するスタイルには最適かもしれません。
しかし、探究学習の場合は、問いのレベルを引き上がれば、成果物の予測の見当がつきづらくなります。それによって、先生のコントロール可能な状況ではなくなっていきます。そうすると先生の心境として、生徒は果たして順調に自分のプロジェクトを進められているだろうか。どのようにサポートしたら生徒が円滑に進められるだろうか。
また、生徒の課題設定があまりにも専門性が高く、先生も知らないようなことばかりの可能性もあります。これらのことから、先生は不安な気持ちに陥りやすいと考えます。
生徒がたどるロードマップを作らない勇気を持つことは容易でないと思います。
問いレベルを高く設定しないと面白くないし、成長しない
しかし、探究学習において、レベル3~4を設定しないと学習効果として満足する水準までには届かないだろうと考えます。
冒頭で述べたような、「ママゴト」「つまらない」といった感情を抱いてしまう状況は、おそらくレベル1~2にあるような、"全てが御膳立てされた状況"であり、リスクも全くない安全な道の上であることが「つまらなさ」を招いているのではないでしょうか。
レベルが高くなればなるほど、成長度合いは高くなります。また、レベルが高くなればなるほど、”何も用意されていない平地"ですから、自ら考え、自分の構想を形にすることでおもしろさも感じるでしょう。
先生としては、不安であるだろうけれど、勇気を持って問いのレベルをあげ、生徒の自由度を担保してあげる勇気が必要だと思います。VUCA時代である現代社会において、それらの経験がなければ簡単に淘汰されてしまう世界になっています。
今一度、自分のクラスや学校がどのレベルで探究活動をされているのかを、まずは客観的に確認し、その上で到達すべきレベルを設定しながら探究活動の質を上げていくことが必要です。
レベルの上げすぎに注意
一方で、留意しなければならないのは、ただレベルを高くすればいいというわけではありません。
例えば、小学校3年生に対して、レベル4の「社会問題を一つ設定し、自らソリューションを考えて共有する」問いを投げかけたところで、全く機能しないと思います。
それは、単純に情報レベルや知識レベルがその問いを考えるまでに達していないからです。より問いをオープンにすればするほど、教養としての知識が多く必要になります。ですので、今教えている生徒の知識レベルや認知能力をある程度見定めた上で、どの粒度の問いを投げかけるのかを考えなければなりません。
日頃の授業から生徒の考えに対して察知し、小さなトピックでトライアル的にどれくらいの粒度で話し合いが実現するかを確認してから、探究活動として大きな問いを考えていく必要があると思います。
最後に
今回はファシリテーションスキルや個人としての価値観などには触れずに、問いのレベル(粒度)から様々な要素との関係性をみてきました。
だいぶ長くなってしまいましたが、いかがでしたでしょうか。少しでも今後の探究学習を考えるヒントになればと思います。
個人的に探究活動に可能性を抱いているのは、私が今、社会人になり、社会課題の解決のためにどのような事業をするべきなのか、従業員に対してどのように接し、この変数の多い社会において、どう事業を前に推し進めていくべきなのか。
これらの要素は、誰しもが同じような状況に身をおき、その中で自らが考え、良い仕事をしなければなりません。そして豊かな人生を過ごさなければなりません。(良い仕事とは、についても今度触れたいですね)
生徒が20年後の未来を幸せに生きるために。
探究学習には非常に魅力的で、可能性に秘めています。今後益々期待していきたいと思います。
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